2015年11月9日月曜日

なぜメンヘラは魅力的に見えるのか


こんにちは

相変わらず死んだような毎日を過ごしております
死んだような、ということは死んでないということです

死ぬと言えばメンヘラですが、あの人たちもなかなか死にそうで死なないですね
いや、メンヘラがそうなのではなくて人間はなかなか死なないということかも知れませんが

オタク界隈とメンヘラは切っても切れない存在にあります

ファッションアピール、コスプレ、メイド、アイドル、缶バッジ糞野郎、リフレ、その他いろいろ…

メンヘラが悪いと言っているわけではなくて、自分が不思議に思っていることはメンヘラが無条件で唾棄すべき存在だとは思われていないということです
むしろ特定のコミュニティ内ではメンヘラの方が価値があるということもあるのではないでしょうか

今日はそのことについて考えていきたいと思います
こういう事を書くときに思うのが、自分という存在を排除して見てきたものを語ることは不可能に近いということです
例えばラーメン二郎を食べたことがない人が「なぜラーメン二郎は魅力的なのか」ということを語っても、あまりその文章は味わいがなく、つまらないものでしょう
統計学や社会学の観点からそういったものを見る場合は別だと思いますが、自分の主観を排除して深く話を語るのはとても難しいと思います
難しいからなんだよ、早く書けよという人もいるかも知れないので言いたいことだけ記しておくと、要はこの話をしたときに自分の考えが漏れ出てしまうこと、自分が無意識下に抑圧してきたものに気付かされてしまうかもしれないこと、この二つを恐れています


まぁでも、別に構わないでしょう
知らずに生きていくくらいだったら知って傷ついた方がなんぼかマシだと思います
なんで一人のメンヘラとして、思いついたことを書いていきます


AFCという言葉があります
これはナンパ用語で「平均的欲求不満ヤロウ」という意味です、ちなみにその反対はPUAといいます
AFCの男性は女性に対するコミュニケーションスキル、引き出しを持っておらず、媚を売るもしくは当たり障りのない対応しかできず、恋愛のフェイズにいつまでも移行できない…
みたいなことが定義のはずです
恐らくこういう人がメンヘラを魅力的に感じてしまうのだと思います


あ、メンヘラの定義を決めるのを忘れていました
色々定義はあると思います、これも話はじめてしまえば何時間でも話せるテーマだと思うので、ここでは
「主に対人関係において自分の求めているものが見つけられずに溺れている人」
ということにしておきます

それでは、なぜオタク(俺たち)はメンヘラを魅力的に感じてしまうのか、いくつか理由を挙げていきます


・想像力がない
メンヘラの引力は絶対値だけで言えばすさまじいものです、対峙したときにフェイズに合わない食いつきを見せてきたりして戸惑うことがあります
それが弱っている時だったりするとたまらなく魅力的に見えてしまうのですけれど
それだけ他人を求めているということなのですけれど、それは「他人」を求めているということであって、差し出された笑顔は「お前」ではなくて「自分以外の誰か」に差し出されています
つまり「誰でもいい誰か」に仕立て上げられているということです
そこを取り違えて、自分が求められている、もしくは自分も求めてもらえるかも知れないと思ってしまう人が多いように感じます
目の前の誰かに「ここではないどこかへ連れて行ってもらえるかもしれない」とメンヘラたちは思っています(多分)

目的地も決めずにたどり着けるはずもないのに

東京駅でサイコロ振って出た数字の電車に乗って札幌までたどり着けるかみたいなゲームをやってるのと同じような感じです
関係ないですが東京駅からサイコロを振り続けたらどこにたどり着くのかは面白そうなので少しやってみたいです



・受け入れられた経験が少ない
これは先のことと対になることですね
長い間吸えなかった後のタバコ、病み上がりに食べる肉、喉カラカラの状態で飲むビール…
禁欲していた期間が長ければ長いほど、与えられた快楽は強烈に染み入ります
それがとても長い年月耐えた末に得られたものであればなおのことです

オタサーの姫なんかは、その醸造が絶妙なバランスでもたらしたコミュニティの姿と言えるでしょう
そういう人たちにとって、メンヘラがもたらす承認は何事にも代えがたい魅力でしょう




・さらけ出せる自分がない
これも既に1個目で出てるような感じがしますが、自分が何を求めているのかわかっていない、漠然と「彼女欲しい」と呪詛のようにつぶやいている奴らはメンヘラを神格化しているように思います
ラブライブ缶バッジ糞野郎とかはこの典型ではないでしょうか
あれはこう、剥き身になったときに残る自分がないから、ラブライバーという殻の中に入って、その殻を見てもらうことで自分を認知してもらおうとしているんでしょうね
猿とタマネギのアレみたいなもんですかね、外側をずっと剥いていったら皮だけが残って、中身は何もない…

缶バッジ糞野郎は露骨な例ですが、こういう人はけっこう多い気がします
もしかしたら自分もそうかも知れませんね



・自己評価が低い
どちらがいいのか分かりませんが、実際の自分と自己評価が乖離しすぎているとだいたい悪いことが起こります
ブサイクな人がかっこつけてツイッターでドヤったりしているのが笑い話にされたりしますが、その逆ですねこれは

人間は長期的に見れば自己肯定していく生き物です
ハードルを下げて「メンヘラでもいい」とその時は思ったとしても、いつしか自分の中で「メンヘラがいい」とすり替えられてしまう事があると思います、そしていつしか目の前のハードルが妥協して作ったハードルだったと言うことは忘れてしまう…
どちらにせよ卑屈になりすぎていい事はあまりないように思います



・受け取ったものを選別できないバカ
人間の脳は記憶より先にソースが抜け落ちてしまうようです
どういうことかと言うと例えば
1=2」みたいな落書きを見て、それを仮に真に受けてしまった場合
それの出処がアンサイクロペディアのジョークだということは、1=2ということより先に忘れてしまうということです

つまりどっかで「メンヘラの彼女最高すぎワロタwwwwwwwww」
みたいなのを見て脳がそれを記憶してしまうと、どっかのバカが言った狂言だということを忘れてそれを真実だとして処理してしまう可能性があるってことですね

まとめサイト見てはしゃいでるバカは気をつけてください、いやバカだから無理か



・性欲
これはあまり語ることもありませんが、先のことが複合して、さぁ相手を探そうってなった時に自分と向き合った結果そこへ向かうということかも知れません


・単純に美しい
先に言っときますけど、顔のことじゃないですよ
少なくとも、自分は時々美しいと思えるメンヘラと対峙することがあります
人間多かれ少なかれ悩みを抱えているものです
そしてその状態はそれが解決するまで、ごまかしながら逃げるか、向き合って戦うかしかないわけですが、自分と向き合うというのは基本的には苦痛なものです
自分の内面と語らうたびに、見たくもないものを見せられてしまうという経験は恐らく多くの人がしていることでしょう
 もしかしたらそれをすることがメンヘラなのかも知れませんが

一部のメンヘラと呼ばれる人はその行為に価値を見出しているというか、人と折り合いをつけようとする事に喜びを見出しているように見えます

自殺した慶応大学のメンヘラ神なんかはそんな感じかもしれません
実は俺、あのとき…
いや、やめておきます

自分が苦痛にしか思えないことに価値を見出して楽しんでいる姿は美しいと思います
ただそこで美しいと思っても、手を前に差し伸べてしまったら自分がまた苦痛を味わうことになるかもしれないと毎回苦悶するのですけどね

ただメンヘラ神は死んでしまった
どんなに辛くても死ぬな、とは言いませんが死んだらそこで終わりです それ以上葛藤を楽しむことも繋がりに光を見ることもできません
本当の葛藤というものは誰とも分かち合えないものだと思います、その辛さの重量が自分の持てる限界を超えてしまっただけのことで、死ぬことが悪いとは自分は絶対に言いませんが、ただ自分は死ぬ気にはなれない
ただメンヘラ神は美しいまま死ねて、ある意味幸せだろうなと思います、死にませんけどね



まぁパッと思いつくのはこれくらいですかね

別にメンヘラを避けろ、唾棄しろと言っているわけではなくて、どこかで啓蒙されるべきだと思うのですが、そうするにはどうしたらいいかは具体的に見えてきません

締めに結論じみたことを書こうと思ったのですが、どれも正解ではないような感じがするので、こうだ!とは言い切らないでおきます

しかしこういう事を書くと自分のことが明かされているような気がして嫌な感じがします
麻雀の裸単騎みたいな感じですかね
それで、いったい自分の待ちはなんなんでしょう
これだけ鳴いているのに自分でもまだ見えそうにありません

わかったら誰か振り込んでください、それではまた…

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