2014年9月12日金曜日

煙の中の君へ

少年院や刑務所の護送車を、たまに道路で見かけると思う。
「どんなものだろうか」と思って、僕はスモーク貼りのガラスを凝視して、中を覗こうとした(中は見えなかったが)。
その後、はっとした。「僕は最低なことをしてしまった」と。

なぜか。

もし、あのスモークの中に人がいたとしたら。
彼等は自分が好奇の目で見られていたことに気付くだろう。
そして彼等は、しばらくの間、地上で見た最後の景色が「好奇の目で自分を見る通行人の顔」になってしまう。
それを抱えたまま、何年も留置場、刑務所で過ごすわけだ。その間、「通行人」への憎しみは熟成されるだろう。

そうした感情を熟成させてしまうことは、彼等の心の孤立を招くだろう。そうした人がもう一度社会に戻ることを考えると、非常に陰鬱な気分になる。

望ましくないレッテルを社会から貼られた時、彼等はぼくの顔を思い出すだろう。そのとき、彼等を救いのない気分にさせてしまったとしたら、非常に悲しいことだ。

僕らは往々にして、相手の気持ちになることを忘れている。
自分がされたら許せないであろうことも、アリを踏み潰すことを意識しないように、無意識のうちにしているかもしれない。
もう少し、よく考えて人を傷付けることのないように行動したい。

来年は...とは言わず、今から。
できるといいな...

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